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dontbreakveg:

rhamphotheca:

A marine iguana (Amblyrhynchus cristatus) ascends to the surface to breathe, after diving to graze on algae. Galapagos Islands.

What.

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18時間前に投稿

私が高校のとき、私は数学だけは成績が良かった。だから数学の授業で教師の話は全く聞かずに「大学への数学」をやったり、「数学セミナー」を読んだり、院試の数学の問題を解いたりして暇を潰していた。定期試験ではいつも授業の範囲を無視して解答していた。それゆえ、正解なのにバツをされて答案が返ってくることが多々あった。採点した教師が私の解答を理解できないからだ。

バツが不当だからと私は数学の教師のもとに抗議に行くわけだが、その教師はたいてい私の話を理解できず(その教師はFラン大学の出身だった)、仕方ないので私は数学の学年主任(その人は京大の数学科出身だった)のところに持って行って、その人に私の答案を採点した数学の教師を説得してもらうのが常だった。

しかし、あるとき、私はいちいち抗議に行くのが面倒くさくなって、抗議に行くのをやめてしまった。どうせテストの点数が95点でも100点でも成績が5段階評価の5であることには違いないし、まして、この数学の担任に採点の間違いを認めされたところでそれは自分にとっては何の益もないことだからだ。

いや、嘘だ。その話は正確ではない。もう少し正確に言うなら、「この担任が理解できようが理解できまいが、数学的に見て正しいものは正しい」と私はある日、気づいたからだ。その担任の鼻を明かし、私自身の矮小なる自尊心を満たしたところで仕方がないのだと気づいたからだ。

そのことに気づけたことは、私にとってまさに僥倖であった。ああ、それこそが数学なのだと思った。数学的な“正しさ”が、個人の感覚や判断などに依拠してはならない。論理的に正しいものは正しいものとして存在しなくてはならない。誰かに理解されようが理解されまいが、正しいものは正しい。そして、自分は正しいものだけをしゃにむに追求していけばいい。それこそが学問なのだ。

何故、私はそのことに気づけたのだろうか?

それはたぶん「ペアノの公理」の定義を私が初めて見たときからだ。その定義を見て、私は何故か涙が止まらなくなった。それは自分でも訳がわからない体験だった。

高校生でも多分名前ぐらいは知っていると思うのだけど、ジュゼッペ・ペアノという人が1891年に「ペアノの公理」を定義して自然数全体を公理化した。数のなかで一番根源的な存在である「自然数」が公理化できるということそれ自体が数学の“健全性”(正統性)を示唆しているとそのとき私は思った。

涙がとまらなくなった理由は、いまにして思えば、きっと「ペアノの公理」が「自分はこの数学の世界に棲んでいていいのだ」という安心と安らぎを与えてくれたのだと思う。「ペアノの公理」こそが自分の存在を肯定してくれ、「自分なんて死ねばいいのに」と思っていた私を「自分なんて死ななくてもいいのに」と思わせてくれた。「ペアノの公理」が「自分がこの世界に生きていていい」ということを担保してくれているように私には思えたのだ。

誰かに理解してもらう必要なんてない。教師や友達に自分のことをわかってもらう必要はない。自分は自分が正しいと思う道を、自分が正しいと思うやりかたで突き進めばいい。数学の教師が一人もおらずいや人類さえもが地球上に誰ひとり存在しなくとも自然数は荘厳とそこに存在しているように、誰ひとりあなたのことを理解していなくとも、あなたはいつも正しく、そして、あなたはこの世に存在していて良いのだから。

21時間前に投稿

筆者があらゆるドラクエ関連のレビューを読んだ中で、一番スリルがあり鬼気迫る読後感と感動を覚えたのが『CURE キュア』imageなどの作品で知られている黒沢清の著書『映画はおそろしい』imageに掲載されていたドラクエⅡに関するエッセイである。以下そのページを引用しよう。

「FFⅢをめぐる対談記事の中の、高橋源一郎氏の発言を読んで、ハタと膝を打ってしまった。氏は”やはりドラクエⅡが最高である。ドラクエⅡには殺意が感じられた”と語っている。 
 そうなのだ。ドラクエⅡ。あれは確かに凶暴なゲームだった。プレイヤーが手塩に掛けて育てたキャラを、容赦なく皆殺しにしてしまおうとするドス黒い意志が全編を支配していた。ダンジョンの奥底でやっと見つけた宝箱を前にして、突如出現したキラータイガー四頭立てによる先制攻撃。それは悲惨としか言いようのない状況だ。バタバタと死んでゆく仲間たちは、棺桶と化して教会へ送り返される。この屈辱から立ち直るのは並たいていのことではない。 
 いったいいつの頃からだろうか。RPGがキャラを育てるゲームであるという認識が一般的になっていったのは。確かに、主人公がだんだん強くなってゆくのを見るのは楽しい。所持金がうんとたまれば、思わず顔がほころんでしまう。しかし、お金や魔法値を精一杯節約し、取れる宝は全部取って、最短コースでゴールに向かうだけがRPGではないはずだ。終了した時、100万Gたまっていたからといって、いったいなにが楽しいのか。巨大なドラゴンのボスを一刀の元に斬り捨てたからといって、何が偉いのか。RPGが効率よくコトを進めればよいだけのゲームに成り下がってはならない。 
 ドラクエⅡに戻るべきである。たかがマンドリルくんだりにボロ負けして、命からがら城へ逃げ帰ったことを思い出そう。あれは、はっきり生きるか死ぬかのゲームだった。キャラを育てようなどと考える余裕はなく、僕たちはただ何とかして生き残ることだけを考えていた。ふと気付くと、確かにキャラは成長しているのだが、そんな満足など吹っ飛んでしまうほどの凶悪な罠がすぐ先に仕掛けてある。でも、僕たちは負けなかった。 
 最初、城の周りを逃げ腰でうろつくだけだった自分が、いつの間にか強靭な意志と勇気を持って死に挑みはじめる。ドラクエⅡは、そんな自分自身のけなげさに涙するゲームである。 
 はっきり言おう。RPGとは、断じてキャラを成長させるゲームではなく、プレイヤー自身が成長してゆくゲームなのだ。」(P.186-187)

 
 ここで言われているドラクエⅡとはもちろんFC版のことである。後にリメイクされたSFC版とGB版は難易度が大幅に下がってしまった。つまり、本物のドラクエⅡを体験するならばFC版でなければならないのである。
 
 FC版ドラクエⅡの存在は、一種のホラーである。筆者も子供のころ体験したロンダルキアの洞窟の地獄は、はっきりと「悪夢」として記憶に刻印されている。やっとの思いで命からがらロンダルキアの洞窟を抜け出したら、そこは一面雪景色だった。ああ、なんて綺麗なんだと感嘆し、数歩踏み出すとさらに凶暴なモンスターがウジャウジャと現われてきたのである。
 
 FC版ドラクエⅡは『バイオハザード』や『サイレントヒル』シリーズより「おそろしい」ゲームであった。
21時間前に投稿
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「白袴隊」
 
「白袴隊とその時代 ―世紀転換期の不良学生集団と美少年騒動」
「びゃっこたい」と言っても、戊辰戦争の華と散った会津「白虎隊」ではなく、明治30~36年(1897~1903)の東京で、美少年を襲ってレイプしたり、美少年を奪い合って決闘事件を起こした、娘をもつ親だけでなく、息子をもつ親をも恐怖させた硬派(=男色)の不良学生集団。

仲間の目印として白い袴を着けたことから「白袴隊」と呼ばれた。

おもしろいのは、「白袴隊」の活動を盛んに紹介して厳しく批判したのが、反藩閥政府を方針とする「万朝報」だったこと。
どうも「万朝報」は、「白袴隊」の少年襲撃(男色)を、薩摩藩の男色風俗と重ね合わせて、「白袴隊」に代表される不良学生による「風俗壊乱」を、政府要人の道徳腐敗に結び付けようとしていたらしい。
そのせいか、記事を詳細に読むと、どうも実に乏しく(レイプも未遂が多い)、「白袴隊」の活動がフレームアップされている感がある。

それはともかく、「白袴隊」は男色(少年愛)を堂々と表看板にした青年集団が明治30年代の東京に存在したという点で興味深い。
古川さんの分析によると、「白袴隊」の「事件」では、年上の青年(18~23歳が多い)が、年少の少年(13~17歳が多い)に性愛関係を迫るという形、つまり前近代に地方の「だ」などに見られた年齢階悌制の色彩が濃厚な男色文化の影響が見て取れるという。

しかも、記事を詳細に見ると、「白袴隊」の構成員は、判明する限り、地方出身者ばかり(やはり鹿児島県が多い)で、東京(江戸)本籍の者は見当たらない。
地方に残存していた近世的な男色文化が、上京学生によって東京にもたらされたと、見ることができる。

20世紀に入ると、男女の恋愛だけが賛美されるようになり、こうした男色集団は衰退し、アンダーグラウンド化していく。
「白袴隊」は、歪んだ形ではあるが、近世的な男色文化の最後の光芒だったのかもしれない。
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ドラッグストアなどに売っている99.5%エタノールを水:エタノール=3:7の割合で混ぜて70%エタノールします。

これを霧吹きにいれて、ガスレンジ周りの油汚れに拭きかけ、拭き取ります。そうすると油汚れやベタツキが綺麗にとれます。

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このように、僕が子供の頃、僕の回りにはとっても危険でとってもバカバカしい大人が沢山いました。
僕達は、こんな狂ったおじさん達から、学校では教えてくれない人生を教わったのです。
それが良かったのか悪かったのか?
そんなもんいいわけありません。
環境悪すぎです。
しかし、あの頃の僕の腐った街では、算数や理科や社会なんかよりも、ヤツラの授業の方がずっとずっと役に立ったのは確かです。
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サンセットを走っていると渋滞につかまった。もしかするとサンフランシスコまで行くにはガソリンが足りないんじゃないかとういう気はしていたが、なんとかなるだろうと思っていた。すると誰かの叫ぶ声が聞こえた。

「おい、ニール!!! おまえなのか?」

わたしは霊柩車の運転席の窓から顔を出した。スティルスだ!わたしたちは車を降り、サンセット・ブルーヴァードのどまんなかで、あたりをはばからず抱き合った。クラクションが鳴り響く!わたしたちの耳にはそれが、みんなの祝福のように聞こえた!なにかがはじまろうとしていたが、それがなんなのか、わたしたちにはわからなかった。だがそれは実野ところ、クソッたれなバッファロー・スプリングフィールドだった。
 「ニール・ヤング自伝①」より
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ihcatihcat:

”Sell in May, and go away”の格言とは無縁?との声も聞かれるNY市場。そんな5月のある日、大江麻理子ウォール街を取材。ガンマイク運搬中です。

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waclips:

archiemcphee:

It’s time for another Geyser of Awesome field trip! Let’s all fly to Japan and go play at the Kurihama Flower Park and where we’ll slide down Godzilla’s tail.

Kaiju Slide = Super Awesome

This playground Godzilla is nearly 30 feet tall and weighs 5 tons. All one has to do to ride down the slide is first climb a set of stairs leading right into the monster’s crotch. 

According to Kotaku’s Brian Ashcraft:

“The reason why there’s a huge Godzilla at this park in Kanagawa is because in the first Godzilla film, the beast emerged out of the ocean at a nearby beach, known as Kanonzaki. To mark this, there was a Godzilla slide erected at the beach in 1958, which probably inspired other, far less impressive Godzilla slides on Japanese playgrounds throughout the country.

The slide at Kanonzaki fell in to disrepair by the early 1970s. You can, however, still see “Godzilla’s footprint” at the shore. A new, far more impressive version of the slide was built at nearby Kurihama Flower Park in 1999. It still stands today.”

[via Kotaku]

やべーかっけー

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Requested by anonymous