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(出典: moonandtrees)

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fukunono22:


橋本愛

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橋本愛

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現代の矯正歯科が目指すのは、ワイヤーやブレース、ゴムを使って、完璧な「被蓋咬合」を形成させることである。被蓋咬合とは、ちょうど箱に蓋が被さるように、下の切歯に上の切歯が被さる状態を言う。(中略)発見された昔の人骨から、西洋世界では被蓋咬合が人間の「標準的な」歯並びになってからまだ二〇〇〜二五〇年しか経っていないことがわかった。それ以前の人類は切端咬合で、類人猿と似ていた。被蓋咬合は進化の結果ではない──進化するにはあまりに時間が短すぎる。
『キッチンの歴史』ビー・ウィルソン(河出書房新社)真田由美子訳。p96 (via enjoetoh)
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idwcomics:

Zombies vs. Robots pinups by Ashley Wood

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takigawaiwase:

coffee shop in Santorini

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coffee shop in Santorini

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ombuarchitecture:

Nakagin Capsule Tower

Ginza • Tokyo •  Japan

Kisho Kurokawa architect & associates

via: 1972  project By Noritaka Minami

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ddnjapan:

1938年にアルファロメオが生んだ「デザインの至宝」が、乗り物の域を超えている | DDN JAPAN http://bit.ly/PB1fVz

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テレビなどで良く耳にする二枚目とは「色男」の意味。ちなみに八枚目まであり、以下の通り。一枚目=「主役」二枚目=「色男」三枚目=「道化(お笑い担当)」四枚目=「中軸(まとめ)」五枚目=「敵役」六枚目=「憎めない敵役」七枚目=「巨悪」八枚目=「座長(元締め)」
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「わかりやすさの危険性」

ひさしぶりに筆をとります。忙しい学期がやっと終わったこともありますが、コーヒーをめぐる問題を単純化した映画「おいしいコーヒーの真 実」(2006年、マーク・フランシス、ニック・フランシス共同監督)が過大評価され、これを支援する側の宣伝についても大きな疑問がある、と考えるから です。もっとも、コーヒーのフェアトレードを研究、活動し始めた5年ほど前であれば私もこの映画に素直に共感したでしょうし、映画と支援者が主張する 「コーヒー生産農家の取り分の少なさ」を授業やコラムで取り上げたこともあります…(今では「若気の至り」と反省しています)。

この映画のエッセンスは「<南>の貧しい生産者と<北>の暴利を貪る大企業」という二分法にあります。その製作意図は、映画の冒頭、生産者にたいし て「消費国ではコーヒー一杯がいくらか知っているか?」「君たちはいくらでコーヒーを売っているのか?」といった誘導尋問的な問いかけがあり、消費国(先 進国)では1杯のコーヒーの値段が400円ほど、生産者の売値は1kg(80~100杯分のコーヒーになる)わずか40円にしからなないという「事実」が 示され、最後のクレジットで、固有名詞をあげ、コーヒー輸入大企業に取材申し込みをしたが拒否されたというテロップが流されることで明らかです。

零細な焙煎業者やコーヒーショップではなく、コーヒー大企業が(時と相場によっては)膨大な利益を上げていることを私も否定するつもりはありません。ただ問題は少なくとも三つあります。

「世界を斜めに切り裂く必要性」

第一に、これはすでにジャン=ピエール・ボリスが『コーヒー、カカオ、コメ、綿花、コショウの暗黒物語』(作品社)で指摘していることですが、「多 国籍企業などの外国資本だけが諸悪の根源であるとするような問題の単純化は、あまりにも安易であり、構造の全体像を捉えていないと思われる。・・・諸悪の 根源のすべてが多国籍企業・国際金融機関だけにあるわけではない。生産国側の能力不足、背任行為、当事者の怠慢、国や地方レベルでの結束力欠如といったこ とも、じつは深刻な問題要因なのである」(10~11頁)という点です。映画の文脈に即して具体的に述べれば、不足している学校の建設は、コーヒーの貿易 取引から生まれる利益をもとにするのではなく、本来は国が果たすべき責任です。アフリカの諸国家が腐敗し、大多数の貧困な農業生産者の利益を擁護していな いことは、アフリカ研究者からよく聞くことです。ましてや、映画で強調しているように、WTOの会議で<南>側の代表者がその国民の利益を守るために奮闘 しているという構図は、正しい事実の反映なのか、大いに疑問があります。他方、ピースウィンズジャパンと連携して東ティモールのコーヒーを販売し、現地の 生産者との交流までも行っている(株)ゼンショーや、FLO(Fairtrade Labelling Organizations International)のラベル付き商品を扱っているイオン、スターバックスのような大企業のフェアトレードをどう評価するのか、という大問題があ ります(これらは多国籍企業ということで同列に扱うのではなく、個々に検討する必要があると私は考えています)。

第二に、コーヒー1杯に占める生産者の取り(1~3%)、輸出業者・地元の貿易会社の取り分(7%)、カフェ・小売業者・輸入業者の取り分 (90%)を比較した宣伝方法(http://www.uplink.co.jp/oishiicoffee/を参照)の問題です。この点について は、(株)オルタートレードジャパン(この映画の協賛団体でもあります)や(株)ゼンショーでコーヒーのフェアトレードを実際に手がけた川越貞夫氏が、 「欺瞞的な輪切りの手法―不勉強なフェアトレード推進者による事例」として批判しています。その要点は以下のとおりです。

  • コーヒー農家は「コーヒー生豆生産者」である。
  • コーヒー農家は輸入者ではない(為替変動リスクの負担、在庫資産管理、年間保管、金利負担、物流管理などを生豆生産者は行っていない) 。(文末の注参照)
  • コーヒー農家はコーヒー販売市場におけるマーケティング、マーチャンダイジングを行っていない。
  • コーヒー農家は商品開発、製造を担っていない(工場運営経費、労力、時間、減価償却は販売者の負担)。
  • コーヒー農家は一杯の「コーヒー」提供販売に関わっていない(出店開業・店舗経営、メニュー開発、オペレーション提供など)。
  • コーヒー農家の場合、生豆を輸出した時点でその「取引」は終了している。

このカップ輪切り不公平図が正当な表現であるとするためには、コーヒー農家は、最終カップ1杯の販売にまで至るすべての「商品開発」「製造工程」「商物流」「販売行為」に直接参加していなければならない。

  • 原産国で製造された商品形態が、ほぼ原型のまま(たとえば、バナナのように)輸出され、日本でもその商品形態のまま販売され、直接消費者がその品物を買う(手にする)場合には、「価格輪切り図」はまだ使える、が・・・
  • 消費地における生豆の輸入から、商品製造、商品販売にかかる経費と利益が大きいと問題視するなら、それは、消費地の「消費者」が、それらを問題視すべきであって、消費地のコーヒー産業構造そのものに、疑問なりを指摘する「消費者リテラシー」の問題である。
  • この図示を作成した「フェアトレード推進家」「映画の支援者」は、
    • コーヒーの商物流・貿易に無知。
    • 生産者はこの商品のどの部分までを担っているのか理解できていない。
    • 商品特性変化に無知(生豆→焙煎豆、パッケージ商品化→液体、各段階でまったく別物に変化)。

以上を要約すると、カップ提供されるコーヒーは、生豆を原料とするものの、それは別の商品であり、高度な技術力を要する焙煎や袋詰め(焙煎したら始 まる豆の酸化・劣化を防止するための創意工夫)、抽出(おいしいコーヒーの淹れ方)、そして競争市場で収益を上げるために必要なマーケティングに関わる相 応の対価を消費国側も要求する正当な権利があるということです。事実、アントニー・ワイルドは『コーヒーの実』(白揚社)において、「コーヒーが消費者社 会に完全に参加する一員となることを妨げていたおもな障害は、包装だった。生豆の形で流通させ、現地の食料品において少ない量を焙煎する必要がある限り、 コーヒーがビッグビジネスのお気に入りへと発展できるはずがなかった。しかし、コーヒーの焙煎と包装にまつわる技術的な問題は、驚くほど解決がむずかし かった」(203頁)と、コーヒービジネスにおける消費国側の努力と貢献を認めています。この問題の本質は、(株)ナチュラルアート社長の鈴木誠氏が日本 の農業問題にふれて指摘しているように(「朝日新聞」2008年7月26日付土曜版)、生産者が価格の決定権や交渉力をもたない点にあります。ということ は、寡占市場を問題視するだけでなく、一方では、それに対抗するための組合づくりや生豆の高級化、独自の販売網づくり(フェアトレードもそのひとつ)、他 方では、私が支援しているメキシコのNGOや協同組合が取り組んでいるように、生豆ではなく付加価値の高い焙煎豆を国内販売したり、自前のコーヒーショッ プをつくるような経営戦略が求められているのです。

第三に、問題の背景となっているコーヒーの国際相場自体が回復していることです。つまり、この映画で批判的に取り上げられたニューヨークのコーヒー 相場は、2002年の年平均53.38セント/ポンドから、2003年同61.90セント、2004年同76.02セント、2005年同107.27セン ト、2006年同107.70セント、2007年同117.28セントと上昇し、最近は136セント前後にまでなっているという事実です(映画および支援 者は、上記公式HPを見る限り、この点にまったくふれないどころか、コーヒー危機の2002~03年、タンザニアのコーヒー農家の取り分はさらに降下 し、喫茶店コーヒー価格の0.1%になったと、「時代錯誤」ともとれる主張をしています。http://www.uplink.co.jp /oishiicoffee/note.php)。他の物価も上昇しているかもしれませんが、このことは、コーヒー農家が受け取る収入もアップしている可 能性が高いことを示しています。少なくとも私が知っているメキシコの生産者のkgあたりの収入は、映画づくりの動機となった2002年のコーヒー危機の時 代に比べれば、組合をつくり、フェアトレードで販売するようになったこともあり、4倍以上になっています。私は、映画の舞台になったエチオピアの事情を知 りませんので、どなたか教えていただければと思います。

「正義感を一回疑え」

タイの児童買春と臓器売買という深刻な社会問題を扱った映画「闇の子供たち」を撮った坂本順治監督は「赤旗日曜版」(2008年7月27日号)のインタビューで次のように答えています。

(私の)映画作りのスタンスは、社会を「斜めに切り裂く」こと。

「倫理観とか道徳とか正義感を一回疑うんです。ニュースや政治家の発言の裏には何があるのかと」。今作では登場人物の苦悩を通し、「あなたの中に同 じような闇はないですか」と問いかけました。より良い道を進むために、社会も自分も常に疑おうと。「裏を探して光を当てるのが映画の作業だと思うんです」

残念ながら、「おいしいコーヒーの真実」を撮った監督およびその支援者たちは、ナイーブな正義感に突き動かされるままで、「コーヒーの真実」の裏側 には光が当てられなかったようです。坂本監督のもうひとつの言葉を援用すれば、世界のコーヒー問題を<南>と<北>という横には切り裂いたが、<南>と <北>、それぞれの問題の深部には踏み込めず(踏み込まず?)、世界を斜めに切り裂くことができなかったということです。自分自身のスタンスをも疑う冷徹 な頭脳がないかぎり、断片的な事実をいくら積み重ねても「真実の裏」には迫れないことを示した映画だと、私は断じます。

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castlesandmanorhouses:

Kasteel van Wijnendale, Wijnendale, Torhout, West Flanders, Belgium.
www.castlesandmanorhouses.com
The present castle is largely a 19th-century reconstruction, but a part of the north wing is still 15th century.
One wing is inhabited by the present owners. Another wing is a museum, open to the public.

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Kasteel van Wijnendale, Wijnendale, Torhout, West Flanders, Belgium.

www.castlesandmanorhouses.com

The present castle is largely a 19th-century reconstruction, but a part of the north wing is still 15th century.

One wing is inhabited by the present owners. Another wing is a museum, open to the public.

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f-l-e-u-r-d-e-l-y-s:

Lost Underwater Lion City: Rediscovery of China’s ‘Atlantis

Qiandao Lake is a man-made lake located in Chun’an County, China, where archeologists have discovered in 2001 ruins of an underwater city. The city is at a depth of 26-40 meters and was named “Lion City”. There would have been 290,000 people living in this city during more than 1300 years.

(出典: asylum-art)